2011年10月30日日曜日

変なクラブに 子供の様な変わった大人

おかしなクラブがある




とくべつ集まりがあるわけでは無い

メンバーで旅行やツーリングに行く訳でもない


メンバー同士 顔も知らない人間がほとんど





背中に革を加工したマークを貼り付け


CLUB Bellerophonとか称している



なんの為のクラブなのか・・・


辞書でクラブを検索すると

 「政治・社交・文芸・スポーツ・娯楽などで、共通の目的を持つ人々によって組織された会」

とある


では 何か共通の目的があるのか?



そう・・・目的

それは


人は基本的には独りである

時には集合体となって動くとき  組織として活動し

友人達と酒を飲み



でも やっぱり基本的には独りなのだ




小学校のとき ウルトラマンを観た


ウルトラ警備隊と言う組織があり

そこで活躍する人達の左胸に 星のマークを施した

バッジが付いていた


そこでの隊員は皆そのバッジを胸に付け



ひとつの集合体として 他の人達とは違いを表し

私の目には  誇らげに それが輝いていた





今から40年ほど前の

子供向けのテレビ番組 空想科学映画とでも言うのか

私はとても憧れていた


そう

主役のウルトラマンより

そのバッジに・・・



40年経った今頃

いい歳をした大人が何をするのか


それが あの背中のマークなのだ

私が40年前に感じた あのバッジと意味を同じくするものなのだ


孤独を感じたときに  周りに誰も居なくても

何処かに同じマークを背にした仲間が居てくれる


たったそれだけの事に幸福を感じ

マークを背負う事に 輝きを感じる


あはは・・・と笑いたくなる様な 子供じみた事だが

今頃になって そんな夢みたいな事を実現したいと思った



「1人で走っていても

何処かで誰かが 同じマークを背負った人が

何処か見知ら路を同じ空の下で走っている

だから1人で走っていても孤独(ひとり)では無い」



そんなツマらぬ事に共感出来るのであれば

同じマークを背負って走りませんか?

単車 車 自転車 歩き…など問いません・・・と ね





ところがね 共感してくれる大人達が 少なからず居てくれた



モチーフにした画は

ベレロフォン

ギリシャ神話に出て来る怪物  キメラを倒した英雄

ペガサスに跨った英雄ベレロフォンと

太陽と月で表したこの世で走ると言う意味のRUNのRを

中心としたベレロフォンのR


しかし 新たに背負うマークを見直す必要が出てきた



本来マークは自分で取り付けるものなのだが

革の場合 そうもいかない


素人にでも簡単に(時間はかかっても)貼り付けられる

そう云った素材で無ければね・・・


今 版下を製作中

革では無く アップリケで施す


地味に しかし 遠めで見て分かりやすい紋様に・・・



だいの大人が子供の様な考えで 背負っていてくれる人が居れば

ひと声かけて欲しい


仲間になってくれる人が増えれば

いつか何処かで 出会えるかもしれない


その時 声をかけあい

珈琲を頂く時間を共有するのも 良いでは無いですか


そんなキッカケになるマークも あってもイイのでは(笑)・・・



PorcoRosso

2011年10月29日土曜日

今が最高?


都会の空は狭く

しかし晴れやかな朝


空気も冷たく

秋の模様が漂っているかの様


こんな日は やはり単車でしょう




チンクエチェントには悪いが  留守番をしてもらい

CBに火を入れる




燃料コックを開け  チョークを引く

メインスイッチを入れ 加速ポンプをひとひねり分だけ働かせる


そうしてセルスイッチ・・・ON


ヴァーボォーン


今日も一発でエンジンがかかった


もう これだけで嬉しいものさ




今時の単車であればインジェクションやらコンピューターやらで

一発で目覚めるのは当たり前だが

この我がCBは1973年の生まれ

機嫌を損ねると なかなかエンジンはかからない


今が一番調子が良いのではないかな?


なんとかコレを維持したいもの



ロングに設定したスプロケットでも 軽やかに発進してくれる

一旦走り出すと ロングストロークのエンジンは 高いトルクを発生させ

グイグイと路面を蹴ってくれます


コーナーに入る手前では バックトルクを発生させ

キャブレターが空気を吸う音と 排気音が重なり合い

素晴らしい音楽を奏でてくれます


こんな感動は 今時の並列4気筒では出ないでしょう


性能 データ 数値・・・そんなモノでは語れない

心躍るようなサウンドを響かせて

この年老いたマシンは走ってくれます


わずかな時間ですが

このマシンで走るのは こころが子供に帰る様な

気分にさせてくれます


ホント 大事な時間です



PorcoRosso

2011年10月22日土曜日

あぁ もう4年経つのか・・・

タマネギを細かく刻んで
生姜もマッチ棒のように刻み
鍋にオリーブオイルと 鷹のつめをひとつまみ
ひき肉を鍋で炒め 塩とコショウもひとつまみ

何をしてるかって?

私お得意のジンジャーカレーを作っているのです

つい先ほど仕上げて 今はじっくり煮込み中

そうして 夜に二度目の煮込みをすれば コクの出るカレーに出来上がりです


そうして料理をしていると 当然目に入るのはCB750four



我が家は少々変わった造りで

キッチンの向かいが単車スペースになっているのです


久々こころにゆとりをもってCBを眺めると 4年前の事故を思い出したのです


R151を北に

調子をこいて少々速度を出していたのです

狭い巾のトンネルの直ぐ手前

左カーヴの道でした

これまた勢いよく突っ込んで行った先に トラックがセンターラインを割って

こちら側の車線に居るではないですか・・・


もう そこからはスローモーションの世界

私はトラックにぶつかる瞬間  『CBが壊れるっ!』 もうその事しか頭になかった

正面衝突すれば フロントフォークから逝ってしまう・・・


トラックが視野いっぱいになった時に そう考えが過ぎり

リアブレーキを思いっきり踏んでリアを流し

トラックに対して単車を横向きにしました



そこからの記憶はありません


気付いたときは 道端で仰向けになり 救急車が近づいて来るのが分かりました

鎖骨と肋骨を折り その日の夜 病院であまりの苦痛に吐き気をもよおし

気を失う寸前だった事を思い出します


3日で病院を追い出され 直ぐ様CBの事が気になり

設楽警察署まで行き 防錆スプレーを手に

警察署に保管されているCBが錆びない様施してきました
(その時 警官は驚いていましたね)

しかしその姿は無残で・・・

でも幸運にもエンジンとフレームは無事でした



こんなラッキーな事はない



このCBのおかげで 死んでいても不思議では無い事故で

鎖骨と肋骨の骨折だけですんだ

こんな幸運を呼ぶCBは 乗り続けなければならない・・・

そう思い 直ちに修理へと段取りしたのでした


そう もうあれから4年

このCBには色々と曰くアリの単車ですが

これから先も 生死を共にした者として

乗り続けたいと

ジンジャーカレーを作りながら思ったのでした






P・R

2011年10月17日月曜日

いつか出会う仲間達

月と太陽は世界を現し

世界を人のものとするため

勇者ベレロフォンは

ペガサスと共に

オリンポスへ戦いを挑んだ



しかしゼウスは

巨神兵を遣わせた



ベレロフォンは戦いに敗れ

目と両足を失い

荒野の地で果てた



傲慢がゼウスとの戦いの理由とされているが

世を人のものとするために戦い

死んだ



神族の血をひいたベレロフォンは

人間に育てられ

人の世を呪縛より解き放つ為戦った



戦いは終わり

死にむかう荒野で

愛馬ペガサスを亡くした悲しみ

盲目と足を奪われた苦しみは

我等 単車に乗れなくなる悲しみと相通じる

いや

それ以上に苦しかったはず


我等は

単車に乗れるだけでも幸せであり

慢心に成ってはならない



大きな空らの下

どこかで誰かが同じ背中のマークを背負って

走っている


だから

ひとりで走っていても孤独(ひとり)ではない


続く長い路

つながる大きな空

そのためのエンブレム


月と太陽

路と空


いつか出会う日まで

元気に生き抜こう



ポルコ・R



  


2011年10月14日金曜日

ベレロフォンTシャツ?

我がクラブ ベレロフォンのメンバーが

この様なモノを作ってくれました(^^)



クラブが生まれた時期に 今の革製のエンブレムが出来る前のデザインで

Tシャツを作ってくれたのです


好きなデザインのひとつだったので

とても嬉しかったです




今のエンブレムは コレですが

昔のデザインも捨てがたかったです


Kezberonさん


ありがとう



ポルコ・R








 


   







2011年10月10日月曜日

うつ病との闘い・・・なんて言えない言えない

もう4年は経つだろうか


朝の通勤途中 車の中で突然感情が溢れ出し

涙が出てきて パニックになり・・・


おかしくなった自分自身が恐ろしく 

偶然近くにあった精神科専門の岩屋病院・・・精神病院と言われるこの病院に

飛び込んで行きました


そこから 記憶が途切れてしまい・・・


気がついたら 自宅でアルマジロのように丸くなっていました




それから うつ病という病にかかったと知ったのは それから2週間後

その間 食べる事も寝ることも出来ず 2週間で15キロ体重が落ちてしまったのでした


当然仕事など出来るはずも無く 凡そ1年休職と言う形で治療に専念しました



後で主治医に聞いた話ですが 

私は自殺を図ったとの事でした・・・そんな事全く記憶に在りません


ようやく正式に仕事に復職できたのは3年ほど前

しかし いまだに薬で抑えている“うつ”が私を支配しようとしているのです


つい先日もそうでした

自分の存在を否定し 己を忌み嫌い 命を絶ってしまいたい衝動にかられ

後で後悔するような事もやっていました


この9月に仕事が変わり 自分でも分かるくらいモチベーションが下がり

意欲も無くなり 苦痛の毎日を過ごしていた矢先

2週間ほど前から おかしくなって行く自分を意識しながら

それでも抵抗できずに落ちてゆく我が身を呪っていたのです


今思えば およそ1ヶ月前から 睡眠をとる事が困難になっていたのです


先週末 主治医のもとに行き事情を説明し 薬の量を増やし

睡眠剤も処方してもらい なんとか今落ち着く事が出来ました


今こうやって記録できるのが本当に幸せで

また 好きな単車に乗る事が出来る様に成ったのも嬉しく・・・


でもこのままでは また何時精神が不安定になるのかが不安で

病と闘うと言いたいけど どうすればよいのか

本当に完治するのか




でも なんとか生きていたい

惨めにはいつくばってでも生きていたい

自ら命を絶とうとした自分に負けない様になりたい


そんな思いと一緒に 単車で浜名湖を望みに行きました


CLUB Bellerophonも終わらせる訳にはいかないものね


絶対に死ぬときは老衰で・・・と思いました



ポルコ・R

2011年10月8日土曜日

ほんとにさよならGT1000



短い付き合いだったけど

よく我慢してくれたよ

ホントありがとうな

新しい相棒と 長生きしなよ

2011年10月1日土曜日

御世話に成りました

ここ数日

自分を見つめ 審判が必要だと悟った事から始まりました
自分自身を軽蔑するだけでなく
自分の存在 行いが周囲の人たちに不愉快な思いをさせてしまう

今まで 多少のつながり持たせていただいた方に決別のメールを送らせていただいたのですが、
それさえも伝わらずに 相手の方に不愉快な思いをさせてしまった

やはり
自分の存在そのものがいけないのだろうと
あらためて知った

十一月十二日を最後に世話になった方々へ御礼とお別れをするつもりです
それでご容赦して欲しい

いろんな人に伝えたい事はあるけど
それも疲れた


もう終わりにして 迷惑をかけずに生きます



川原田