2010年10月30日土曜日

嵐の前の静けさ





朝からの雨で目を覚まし
窓から外を眺め 今日を考える

ひんやりとした空気に身を包み
未だ目覚めきれぬ身体と心を震わせ
紅の白サソリ・・・3代目チンクェチェントに火を入れる

夏とは違う
ヒートゲージがなかなか動かないのが
秋から冬に近づいた事を知らせていた


充分明け切らぬ空を見つめ
街も今起きたかの様に鉛色の空を
重く漂わせている

嵐が来る前の静けさを感じながら
3代目チンクのエンジンが温まり走り出すのを
待つ このひと時

   至福の時間なのかも知れない




                                   荊 軻




2010年10月27日水曜日

菜美さんへの手紙 2010年10月26日 時には昔の話を





菜美さん

私が19歳・・・20代くらいの頃は
毎日単車に乗っていて
それはもう 単車に乗る為に働いていた日々でした

当時は250ccの黒いホンダ・ホークと言う単車に乗っていて
丹後半島や紀伊半島など 1人でツーリングに行ったものです

日帰りあり 寝袋やテントを持ってのツーリングあり 等で
それが生き甲斐に成っていましたね(^^)

田舎の暗い見知らぬ道を走る寂しさと ワクワクする高揚感
今では懐かしく思います

見知らぬ街で出会う人との交流は 素晴らしい経験でもありました



今でも 何もかも捨てて 1人旅に出たいと思うことがあります

そうすれば 新しい何かを見つけることが出来そうな気が・・・


でも 振り返るとそこには 毎日の現実社会が迫って来ているのです


逃げ道の無い現実が・・・






菜美さん
貴女はまだ若い

これからいっぱい夢を追いかけてください

現実を踏みしめながら 未だ見ぬ未来の全てが貴女のモノです

働くと言うのは そう云った夢の糧を得るひとつの手段かも知れません

一生懸命働くからこそ それによって得た夢の現実は価値のあるものだと信じます



また 次も単車の話を聴いて下さい
色々と思いで深い事もありました
夢の様な話や 少しエッチな事もありました(笑)

今となっては 懐かしい話です


それでは・・・


           m・kより

2010年10月24日日曜日

我が名はGT1000





今日久々に走らせてもらった

 RIを豊橋から浜松に向かって


今にも雨が降り出しそうな雲が 空を覆っている


  ライダーは私の心臓を目いっぱい回転を下げ トップギヤで走れる

 最低の速度で巡航する







きっとライダーは私のギリギリの力で ノッキングを起こす手前の鼓動感を

 愉しんでいるのだろう


路はなだらかな そして穏やかな起伏を持つ

 
 ライダーは 時折アクセルを捻り

     ゆっくりとしたトルクを引きずり出してくれる


アクセルの動きからやや遅れ気味に回転が上昇する

 本来の働きでは無いが たまにはこんな仕事も悪くない


路面を蹴るようなフィーリング

   確かなグリップを感じながら駆け抜けていく


気が付けは 周りの仲間達より倍以上の速度域に達している

  






 遠くに大きなブリッジが見える

その先には海が


   鉛色に染まった空には


肌寒さが感じられるまで気温を下げようと 太陽を隠したままだ


   私の心臓は89度まで上昇

いつもなら100度を越えるところだが

  今日は気温が低いのだろう

 



 
  僅かながら渋滞ポイントに来たようだ

ライダーがステップに加重をかけてきた

  右に左に・・・

シートに尻を押し付けながら体重移動を行っている
     

  まるで障害物リレーのように駆ける

その眼下には開けた空と海が見えてきた


  ああ・・・今日はこの為に来たんだ






これからも この感じを忘れないで居よう

 また走れる日の為に




       GT1000

2010年10月23日土曜日

豊かなこころ・・・





どうすれば、こころ豊かな社会になれるのか?
いや、社会で無くとも、一個人としてこころ豊かな人間になるために
どうすればよいのか?

友愛に満ちた社会を私も望みます。
日に日に治安の悪くなるこの日本で、荒んだこころの人達が増し
唾をはいても、素知らぬ顔をする人間関係の中、
子供への躾どころか、自らの欲情を抑えられない道徳の無い親。

日に日に道徳心を無くしている社会!

今の人間社会に憂いを持つ事さえしなくなった若者たち…
何故なら、今の若い人たちは、この社会、人間関係が当たり前の中で
生まれ育ったのだから、憂いを持つ事すら疑わない…

大人が大人らしく、子供を一人前にして社会に送り出す…なんて大義を
忘れ去られて久しい教育…
隣人が苦しんでいる時に手を差し伸べる事に、恥ずかしさと無関心を装う人達…
子供が子供らしく…消化しきれない知識だけをインプットされて道徳意識を芽生えさせることなく身体だけ大きくなる若人

こんな社会になったきっかけは一体何なのか?

一度開いたパンドラの箱は、その結果元には戻らないかもしれないが…
このままでは、無秩序がはびこり、野性と化す時代もそう遠くは無いだろうと思う。

私たちは、一体何をすれば友愛の満ちた社会に戻す事が出来るのか?
せめて、家を空けるとき鍵をかけなくても安心して外に出かけられた時代を懐かしむ。

過激な事や、守れない法律を作り規制しても、こころは戻らない…

時間をかけて出来あがった人のこころは、更に時間をかけて元に戻す事をこころかけなければならない…
人はゆっくり育ち学んで道徳意識を得て行くものだから…

焦っては行けない。
しかし、その方法を知らない私たちは、何をどの様に行動すればよいのか判らないでいる。

1足す1は2ですよ。と、教えても、“いや3です。”と、信じ込んでいる成人に道理を教えても
徒労に終わる・・・
大切なのは、物心つく以前からものの良し悪し道徳と道理を頭からではなく、身体から教え込んでいかねばならない。
この真理を脇に置き忘れられ、成人まで無秩序な教育の“育”の部分を忘れた育て方に疑問を持たず
情報だけを与えられた成人が“1足す1は2ですよ。と、教えても、いや3です。”となるのは必然であり
心の部分を育てる事をせず、知識だけ与えた結果なのだろうと思う。

せめて、隣人が困っている時に手を差し伸べることからはじめよう・・・
人と人との関係を、猜疑心では無く信頼関係で結ばれた人に成れるために

人と人のつながりは信頼から始まるものだと信じたいではないですか!



パンドラの箱で最後に残ったものは“希望”だったと覚えている


                   荊 軻

                

2010年10月20日水曜日

ちいさな幸せ(^^)




      1・2・3・4・5


           ただ それだけなんですが


       なんか 嬉しくて 写真しました



                              荊 軻

2010年10月11日月曜日

その集まりは ギリシャ神話の怪物から名前をとった 日本最古のモーターサイクリスト・クラブの集いであった





40代50代を中心としたようなそれは

 子供達では発することの出来ない雰囲気を放ち 大人の世界を形成していた




クラブの長であろう

 ひと際強いオーラを放ち 男達の前に立ち声を発した

40年以上続いている モーターサイクリスト・クラブ

 それは クラブなどと言う一括りには出来ない

計り知れない力を持った男達




この長にして この男達


   スケールが違いすぎると感じた


そして この長に話かけた

  一年前の出来事を



長は私の事を覚えてくれていた

  一年前のことが無かった事の様に・・・やさしい声で


私はこの地に来たことが間違いで無かった事を知った